こんにちは。さらさ湯沢の野口です。
突然ですが…
歴史に『if』はありませんが勝敗の行方は紙一重の差だった関ヶ原合戦。
もし、小早川秀秋が裏切らなかったら。。もし、豊臣秀頼が関ヶ原に来ていたら。。
もし、毛利輝元が戦いに参加していたら。もし、西軍最強の立花宗茂が参戦出来ていたら。。
もし、このどれか一つでも逆に作用していたら、西軍が勝利を収め、日本の未来は大きく変わっていたに違いありません。
この歴史的な転換日。関ヶ原合戦の日(慶長5年9月15日)を記念日とし、関ヶ原観光協会が制定しました。
「天下分け目の戦い」としその後の行方を決定した「関ヶ原の戦い」本日さらさ湯沢では、『戦い』ではなくクイズに『チャレンジ』して頂きました。
クイズのあとは、新杵堂の『栗きんとん』でお茶会です。
関ヶ原にちなみ、岐阜県のお菓子をお取り寄せしました。
壮大な歴史の背景に、内通、裏切り、寝返りがあり、たった1日で終わった「日本史上最大の野戦」と言われる関ヶ原の戦いを一緒に勉強出来た貴重な時間でした。
それにしても、頭脳明晰、忠義に厚く、また正義感も強く一本気な石田三成はどうしてあんなに嫌われていたんでしょうね?
自分の価値観を押し付ける今で言う「ウザい奴」だったとか❓
いやー歴史って面白いですね?
Comments
コメント